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LINTO日本語の校正と推敲

間違えやすい日本語 / 第114回

「五十歩百歩」は半分なら優秀?差があっても同じと言う理由

「五十歩と百歩では、倍も違うのでは?」と思うかもしれません。それでも「五十歩百歩」は、距離の差を計算するための言葉ではありません。少しの違いはあっても、本質的には変わらないという意味です。 何を本質と見るかによって、適切に使えるかが変わります。

逃げた距離ではなく逃げたことを比べる

この言葉は、戦いで五十歩逃げた人が、百歩逃げた人を笑うという『孟子』のたとえに由来します。逃げた距離は違っても、逃げた点は同じだという話です。

そこから、「小さな違いを根拠に自分の方がよいと言っても、肝心な点では変わらない」という場面に使われます。字面に数字があるために厳密な比較に見えますが、数字の大小を否定する言葉ではありません。

「必要な確認を一つ省いた人が、二つ省いた人を責めている。どちらも確認不足という点では五十歩百歩だ」と言えます。問題にしているのは省いた数より、必要な確認を省いたことです。

よいもの同士を褒める表現には向かない

「二人とも素晴らしい演奏で、五十歩百歩でした」と褒めるのは意図に合いません。この語には、どちらも大した違いがないと低く見る含みがあり、優劣を付けられないほど優れているという称賛にはなりにくいからです。

高い水準で並んでいるなら、「どちらも見事で、甲乙を付けがたい演奏でした」と言えます。単に成績が近いなら「二人の得点はほぼ同じでした」、違ったよさがあるなら「技術の正確さと表現の豊かさで、それぞれよさがありました」と書けます。

「同程度」を表す言葉にも評価の方向があります。同じくらいだからと「五十歩百歩」を選ぶと、称賛が低評価に変わる場合があります。

小さな差を無視してよいとは限らない

同じ遅刻でも、一分と一時間では相手への影響が大きく違うことがあります。約束の時刻に遅れたという点では共通しますが、そのことだけで全体を五十歩百歩とまとめると、程度の差を見落とします。

「どちらも連絡がなかった点は問題ですが、遅れた時間には差があります」と分けて述べることもできます。共通する問題を認めながら、影響の違いも残せます。

また、前より少し改善した人に「まだ五十歩百歩だ」と言うと、改善した部分まで無意味に扱ったように聞こえることがあります。目標には届いていなくても、前進した点があるなら「ミスは減りましたが、確認漏れはまだ残っています」と説明できます。

ことわざは、問題の共通点を簡潔に指摘できます。一方で、何を無視してまとめたのかを確認しないと、比較が乱暴になることがあります。

相手を批判するときは共通点を言葉にする

「あなたも五十歩百歩です」とだけ返せば、相手を同じように悪いと評する文です。しかし、何について同じなのかが省かれているため、人物全体を否定されたように受け取られることもあります。

「今回の記録には、二人とも確認者の名前がありません」と具体的に指摘すれば、直すべき点が明確です。そのうえで、「他方を責める前に、双方の記録を確認しましょう」と話を進められます。

自分の振り返りなら、「人の準備不足を笑ったが、必要な物を忘れた自分も五十歩百歩だった」と使えます。共通する落ち度を自分にも認める文であり、何を比較したかも分かります。

この言葉は、違いがないと測定した結果ではなく、大事な点では同じだという評価です。使うときには、その大事な点を一つ示す。それだけで、ただの言い返しではなく、内容の分かる指摘になります。

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