間違えやすい日本語 / 第137回
「怪我の功名」は努力の成果?偶然うまくいったときの言葉
道を間違えたおかげで、探していた店に偶然たどり着いた。「怪我の功名」は、こんな出来事に使えます。失敗や何げなくしたことが、思いがけずよい結果につながることです。 本当にけがをする必要はありませんし、努力の成果をそのまま褒める言葉でもありません。
失敗のはずがよい結果につながる
「注文数を多く見積もってしまったが、当日の飛び入り参加に対応できた。怪我の功名だった」。見積もりの誤りが、結果的には役に立ったという例です。
「書く順番を間違えて描き直したら、前よりよい構図になった」も使える場面です。最初からその改善を狙っていたのでなく、失敗をきっかけに予想外のよさが生まれています。
ただし、失敗そのものが正しい行動だったと評価する言葉ではありません。注文数の確認は次から必要ですし、偶然よい結果になったことを、そのまま再現できる方法と考えることもできません。
単なる幸運との違い
「抽選で希望の席が当たった」だけなら、うれしい幸運ですが、失敗や何げない行動が別の成果につながったという関係はありません。「運よく当たった」「思いがけず当選した」と言う方が素直です。
「申し込む公演を取り違えたが、そこで好きな演奏者を知った」なら、怪我の功名と表せます。取り違えたことが、別のよい結果に結び付いているためです。
「棚からぼた餅」には、苦労せず思わぬ幸運を得る意味があります。「怪我の功名」は、失敗などがよい結果へ変わる流れに焦点があります。本人がその後で努力していても、最初の思いがけないきっかけについて使える場合があります。
成果を褒めるつもりで使うと失礼になることも
何度も準備して成功した人へ「怪我の功名ですね」と言えば、努力ではなく偶然うまくいったと評価したように聞こえます。成果を認めたいなら、「準備を重ねた成果ですね」「工夫がうまくいきましたね」と言えます。
失敗後の対応を褒める場合も、何が偶然で、何が本人の判断だったかを分けたいところです。予備の材料から新しい案を考えた人なら、「予定変更をきっかけに、よい案を考えましたね」と伝えることができます。
本人が「怪我の功名だった」と笑っているからと、周囲が努力をすべて偶然扱いしてよいわけでもありません。自分を控えめに語る言葉と、他人が評価するときの言葉には違いがあります。
損失が残る場合によかったことだけを強調しない
「失敗したけれど、別のよさが見つかった」と本人が振り返ることはできます。しかし、その失敗で困っている人がいるのに、関係者へ「怪我の功名でした」とだけ説明すると、被った不利益を軽く扱ったように聞こえます。
報告なら、「誤って多く注文しました。余分な分は追加参加者に使えましたが、次回は数量を再確認します」と書けます。結果的に役立った事実と、間違いへの対応を分ける方法です。
「よい発見があったから、失敗への説明は不要」という関係にはなりません。話の目的が感想なのか、経緯の報告なのかによって、書くべき内容は変わります。
「失敗は成功のもと」と同じではない
「失敗は成功のもと」は、失敗から学んで次の成功につなげるという考え方です。「怪我の功名」は、失敗や何げない行為が思いがけずよい結果をもたらすことなので、学習が必ず中心にあるわけではありません。
試作品の失敗を分析し、何度も改善して完成させたなら、「失敗を生かした」が意図に合います。失敗した試作品に、偶然別の使い道が見つかったなら、「怪我の功名」が合う場合があります。
何が予想外で、どこに努力があったのか。その流れを確かめると、偶然の面白さを語りながら、人の成果を小さく扱わずに済みます。