間違えやすい日本語 / 第134回
「身につまされる」は胸が痛むこと?他人事でないと感じる理由
同じような失敗をした人の話を聞き、「自分のことのようで身につまされた」と感じることがあります。「身につまされる」は、他人の苦労や不幸が自分の境遇と重なり、切実に感じられることです。 単に感動した、かわいそうだと思ったという意味とは少し違います。
自分にも重なる事情がある
「提出直前に資料を失った人の話は、以前同じ失敗をしたので身につまされた」。自分の経験を思い出し、他人事として聞けなかったという文です。
「慣れない場所で道に迷った人の話を聞き、転居したばかりの頃を思い出して身につまされた」も、境遇の重なりが分かる例です。出来事が完全に同じでなくても、立場や苦労が重なるなら使えます。
逆に、すばらしい演奏を聞いて心が動いた場合、特に自分の苦労や境遇と重ならなければ「感動した」「心を動かされた」が合います。感情が強いからという理由だけで「身につまされる」へ替えるものではありません。
「胸が痛む」とは自分との重なりが違う
「被害に遭った人の話を聞き、胸が痛んだ」は、自分に同じ経験がなくても使えます。気の毒に思ったり悲しんだりする気持ちを表すためです。
「身につまされた」と言うと、そこに自分の経験や立場とのつながりが読み取られます。「同じ立場の人の話だったので、身につまされた」と理由を添えると、読み手も意味をつかみやすくなります。
「共感した」はさらに広い語です。楽しさや喜び、考え方への同意にも使えます。「旅行の楽しみ方に共感した」をそのまま「身につまされた」に替えると、苦労を切実に感じた話のようになり、意図が変わります。
「耳が痛い」は自分の弱点への指摘
「準備を後回しにするなという話は耳が痛い」は、指摘が自分の欠点に当たるためつらいという意味です。「身につまされる」は、必ずしも自分の欠点を指摘された場面ではありません。
たとえば、連絡を待つ不安を語った人の話が自分にも重なったなら、「身につまされる」が合います。「耳が痛い」とすると、自分が誰かへの連絡を怠っているなど、弱点に触れられた印象になります。
同じ話を聞いても、受け手の立場によってどちらが合うか変わります。「待つ苦しさ」は身につまされ、「返事を先延ばしにしないで」という指摘は耳が痛い。何を切実に感じたのかを具体化すると、言葉の選択も明確です。
「身につままれる」とは言わない
よく似た音ですが、慣用句は「身につまされる」です。「身につままれる」とすると、何かにつままれたような形になり、一般的な言い方から外れます。
漢字を無理に当てず、ひらがなで「身につまされる」と書けば読みやすくなります。「つまむ」と結び付けて意味を覚えるより、他人の事情を自分の身に引き寄せて切実に感じるという文脈で覚える方が混ざりにくいでしょう。
「身につまされる思いがした」「身につまされる話だった」も自然な形です。ただし、どの文章にも「思いがした」を足す必要はなく、「身につまされた」で簡潔に言えます。
相手の話を自分の話だけにしない
本人の苦労を聞いて「身につまされます」と言うことはできますが、相手が求めているのは自分の体験談とは限りません。「自分も似た経験があります」と話し始める前に、相手の話を聞き終えることが大切です。
文章で感想を述べるなら、「同じように待った経験があり、不安な場面の描写が身につまされました」と、どこに重なりを感じたかを示せます。作者や登場人物とすべて同じ気持ちだと決める必要はありません。
他人の事情を自分と重ねて理解することと、相手の経験を自分と同じだと言い切ることは違います。その距離を保つと、「身につまされる」が具体的な共感を伝える言葉になります。