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LINTO日本語の校正と推敲

読めそうで読めない漢字 / 第83回

「饒舌」は「じょうぜつ」。口がうまいことではない?

「饒舌」は「じょうぜつ」と読みます。よくしゃべること、口数が多いことを表します。「話がうまい」「説得力がある」と同じ意味ではありません。

にぎやかな語りを好意的に描くこともあれば、しゃべりすぎだと感じて使うこともあります。「饒舌」の中心は言葉の多さであり、話の上手さや評価は前後の文から読み取ります。

「饒」は豊かで多いことを表す字

「饒」は、豊か、十分にある、多いという意味を持つ字です。豊かに実ることなどを表す「豊饒」は「ほうじょう」と読みます。「舌」は口で話すことにも関わる字で、「饒舌」では口数の多さにつながっています。

「饒舌な人」「饒舌になる」「饒舌に語る」がよく使う形です。「饒舌家」は、よくしゃべる人を指します。「じょうした」などと一字ずつ別の読みを当てず、熟語として「じょうぜつ」と覚えると読みやすくなります。

「普段は静かな父が、昔の映画の話になると饒舌になる」。この例は、得意な話題に触れて口数が増す様子です。常におしゃべりな性格だと決めるのではなく、その場での変化を描いています。

「雄弁」は説得力、「饒舌」は口数に注目する

「雄弁」は、力強く、説得力をもって話すことを表します。「雄弁な演説」とあれば、聞き手を動かす語りが思い浮かびます。「饒舌な演説」では、まず言葉が多いことが伝わり、好意的な評価なのかはそれだけでは分かりません。

「口がうまい」は、話が巧みであることです。相手を喜ばせたり、巧みに言いくるめたりする含みを持つこともあります。饒舌な人が必ずしも相手を説得できるわけではなく、口数の少ない人が巧みに交渉する場合もあります。

「多弁」は「饒舌」に近く、言葉数の多さを表す語です。とはいえ、「多弁は中立、饒舌は悪口」と固定して覚える必要はありません。どちらにも、発言が多すぎるという批判がこもる場合があります。単語だけで評価を判定せず、何が続いているかを見ます。

褒め言葉にも、軽い皮肉にもなる

「旅先の話を饒舌に語る友人につられ、こちらまで出かけたくなった」。話し手の熱が周囲に伝わった場面です。ここでは、言葉の多さが楽しさとして描かれています。

一方、「質問は一つだけだったが、彼は饒舌に自慢話を続けた」では、聞き手のうんざりした気持ちがにじみます。「饒舌」自体を置き換えなくても、「旅の魅力を語る」と「自慢話を続ける」で印象は変わります。

本人に「今日は饒舌ですね」と伝えると、楽しそうだという観察にも、話しすぎだという指摘にも聞こえます。会話が弾んでうれしいなら「その話、楽しそうですね」、話を切り上げたいなら「そろそろ次の話題に移りましょう」と、目的を直接表す方が伝わりやすい場合があります。

文章や作品を「饒舌」と呼ぶとき

「饒舌な文章」「饒舌な映像」のように、人の発言以外にも使えます。多くを語り、細かく説明し、見る人に情報を次々と届ける様子を、人がしゃべる姿に重ねた表現です。

「登場人物の気持ちを逐一説明する、饒舌な語り口だった」なら、説明の多さを指します。「装飾を重ねた饒舌な衣装が、人物の虚栄心を物語る」なら、視覚的な表現が多くの意味を伝えるという見立てです。こうした比喩には、作品をどう見たかという書き手の解釈が入ります。

批評で使うなら、単に「饒舌すぎる」と評するより、「同じ事情を台詞と字幕で繰り返すため、説明が多く感じられた」と理由を添えると親切です。豊かな語りなのか、説明過多なのか。そこまで書いて初めて、読み手と評価を共有できます。

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