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LINTO日本語の校正と推敲

間違えやすい日本語 / 第109回

「過言ではない」は大げさな表現?言い切る強さを確かめる

「この一冊が人生を変えたと言っても過言ではない」。大きな言い方ですが、「少し言い過ぎかもしれない」と控えている文ではありません。「過言ではない」は、これほど強く言っても大げさではないと主張する表現です。 むしろ、評価を強く押し出す働きがあります。

「過言」は言い過ぎという意味

「過言」は、実際より大げさすぎる言い方のことです。「成功のすべてが彼一人の力だと言うのは過言だ」なら、その評価は言い過ぎだと判断しています。

そこに否定を加えた「過言ではない」は、言い過ぎではないという意味になります。「会場の成功は、準備した人たちの努力の結果と言っても過言ではない」なら、その評価を認め、強めています。

「過言かもしれないが」と「過言ではないが」を取り違えると、評価への距離が変わります。自分でも大げさかもしれないと思っているなら前者、十分に根拠がある評価として言いたいなら後者です。長い定型句だからと一まとまりで使わず、否定の有無を確かめます。

控えめに見えて断言に近い

「そう言っても過言ではない」は、直接「そうだ」と言うより言葉を挟んでいます。それでも、内容を弱くしているとは限りません。「この準備がすべてを決めると言っても過言ではない」なら、準備の重要さを非常に強く述べています。

一つの要因にすべてを帰してよいのかは、別に確かめる必要があります。準備以外に会場の条件や参加者の協力もあったなら、「成功には、この準備が大きく役立った」と書く方が正確な場合があります。

単に重要だと伝えたいときに、毎回「過言ではない」を付ける必要はありません。「申込先を明示することが重要です」と直接述べ、なぜ重要なのかを説明する方が、読み手の判断材料は増えます。

感想と客観的な評価を分ける

「自分にとって、この本は考え方を変えた一冊と言っても過言ではない」。これは個人の経験や感想として読めます。本人にとっての大きさを語っており、すべての読者が同じ影響を受けるとは言っていません。

一方、「誰にとっても人生を変える本と言っても過言ではない」と書けば、対象が大きく広がります。多くの人が読んでいることと、全員の人生を変えることは違います。強い表現の前に「誰にとって」「どの点で」を確かめたいところです。

「歴史上最も優れていると言っても過言ではない」など、最上級を伴う文も同様です。比較した範囲や評価の基準がなければ、言い方の強さだけが先に立ちます。「仕組みが分かりやすく、初心者が使いやすいと感じました」のように、評価する点を限定する方法があります。

結論を支える説明を先に置く

「今回の中心を担ったのは受付担当者だと言っても過言ではない」と書くなら、受付担当者が何をしたのかがあると読み手も理解できます。「急な人数変更に対応し、会場への案内も担当した」と示せば、重要だった理由が見えます。

ただ、同じ場で働いたほかの人の役割を知らないなら、「中心を担った」と順位を付けるより、「円滑な進行に大きく貢献した」と表す方が適切なこともあります。称賛のために、確認していない比較まで足さないようにします。

「過言ではない」を残すのは、十分に強く評価したい理由があるときです。削っても意味が変わらず、説明が読みやすくなるなら、短くして構いません。「決して過言ではありません」「過言ではないでしょう」と変えても、根拠が増えるわけではありません。

強い断言に見えない形で、実は大きな評価をしている表現です。その文で本当に言い切れることは何かを確かめて使うと、文章の勢いと正確さを揃えられます。

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