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LINTO日本語の校正と推敲

間違えやすい日本語 / 第91回

「客観的な意見」は矛盾する?「主観」と「客観」を混ぜない伝え方

「客観的な意見を聞かせてください」と頼むのは、矛盾した言い方なのでしょうか。日常の会話なら、本人の好みや当事者としての都合から少し離れ、公平に見てほしいという依頼として使えます。「主観」はその人の見方、「客観」はその見方だけに偏らず、対象や第三者の立場から捉えることです。 意見である以上、根拠を示すことも必要になります。

事実と評価は同じ一文にも入っている

「この会場は駅から十分で、便利です」。前半の移動時間と、後半の便利だという評価は、性質が違います。十分が徒歩なのか車なのか、どの出口から測ったのかをそろえれば、移動時間はほかの人も確かめられます。「便利」は、荷物や歩く速さ、ほかの交通手段によって評価が変わります。

「駅から徒歩十分なので、自分には便利です」と書けば、確かめられる情報と個人の評価を分けられます。主観をなくしたのではなく、どこからが自分の判断かを示した文です。

同様に、「参加者が前回より増えた」は人数を確かめれば確認できますが、「大成功だった」は評価です。人数の増加を成功の基準にしたなら、その関係を説明すると読み手も判断しやすくなります。

数字があっても客観的とは限らない

数字を使うと具体的になりますが、数字だけで評価の偏りがなくなるわけではありません。「満足度が高い」と言うために、満足した人の声だけを集めていれば、全体を公平に捉えた説明とは言いにくくなります。

「参加した五人全員が、説明は分かりやすかったと答えました」なら、誰について述べているかが分かります。「誰にでも分かりやすい説明です」と広げると、調べていない人についてまで結論を出してしまいます。

「客観的に見て優れています」と宣言するより、「前の型より軽く、持ち運びやすくなっています」のように比較点を示す方が伝わります。ただし、軽さ以外を重視する人にとっても優れているかは、別の判断です。

「主観です」と断れば何でも言える?

「個人の主観ですが、この小説の終わり方が好きです」は、自分の好みを伝える自然な文です。好みの違いがあることを認めながら話せます。「登場人物の説明が少ない点に、想像する楽しさがありました」と理由を足すこともできます。

一方、「主観ですが、作者は取材をしていないのでしょう」と書けば、作者の実際の行動について未確認の推測をしています。主観と断っても、事実として誤っている可能性や根拠の弱さは消えません。

感想なら「取材内容が作品から伝わりませんでした」、根拠を確認したいなら「この場面の資料はどこに示されていますか」と書けます。自分がどう感じたかと、他人が何をしたかを混ぜないことが大切です。

「客観的に見てほしい」は観点を添えて頼む

完成した案内文を見せて「客観的にどう思いますか」と聞かれた相手は、何を確認すればよいか迷うかもしれません。自分が知らない情報を読者の立場で補ってほしいなら、「初めて読む人にも、集合場所が分かるか見てもらえますか」と頼めます。

デザインなら「好みは別として、文字を読み取れるか確認してください」、計画なら「参加者の移動時間という点から見て、無理がないか意見をください」と観点を限定できます。第三者の視点を求めながら、話が広がりすぎるのを防げます。

また、当事者の感想だから価値が低いということでもありません。「実際に使って、持ち手が滑りやすいと感じた」という主観的な経験が、改善点を見つける手掛かりになります。主観と客観を優劣で並べるより、確認できる情報と人によって変わる評価を区別して伝える方が役立ちます。

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