「確信犯」の本来の意味|「わざと」ではない、その由来
辞書で「確信犯」を引くと、最初に出てくるのは「わざと」でも「悪いと分かっていて」でもありません。政治的、宗教的、あるいは道徳的な信念にもとづいて、それが正しいと信じて行われる犯罪、という説明です。日常の「あの人、確信犯だよね」から思い浮かぶ姿とは、ずいぶん離れています。
ドイツの法学から来た訳語
「確信犯」は、ドイツ語の Überzeugungsverbrecher(Überzeugung は確信や信念、Verbrecher は犯罪者)の訳語で、法学者のラートブルフが唱えた概念として知られています。刑法学の中で、ふつうの犯罪者とは区別して扱うべき人として立てられた分類でした。法を破ってはいるけれど、本人は自分の行いを正しいと信じている。だから罰し方や扱いも別に考えるべきではないか、という文脈で使われた言葉です。「信念犯」という言い方も同じものを指します。
ここでの「確信」は、自分の行為は正しい、という信念のことです。「ばれないという確信」でも、「悪いことだという自覚」でもありません。歴史の教科書に出てくるような、法に反すると知った上で信念を通した人たちを思い浮かべると、もとの用法に近づきます。
「悪いと分かってわざと」に変わった経緯
いまは「怒られると分かっていてわざとやる人」の意味で使われることが多いようです。「また締め切りぎりぎりに出してきた。あれは確信犯だね」。この用法で、職場のチャットでも家族の会話でも通じます。
なぜこうなったのかは、字を見れば想像がつきます。「確信して犯す」と読めば、確信の中身は問われません。悪いと分かっていた、ばれると分かっていた、それでもやった。「確信」と「犯」の二文字から、そういう「分かっていてやった」像ができあがる。信念の有無はどこにも書かれていないので、字面で覚えた人がこちらへ流れるのは自然な成り行きだったのでしょう。辞書によっては、この広がった意味を俗な用法として併記するものも出てきています。
近いのは「故意犯」のほう
法律には、わざと行う「故意犯」と、不注意による「過失犯」という分け方があります。「分かっていてやった」と言いたいときに本当に近いのは、確信犯ではなくこの故意犯のほうです。確信犯も故意ではあるのですが、そこに「自分は正しい」という信念が乗っている点が違います。思想や信条がからむ「思想犯」「政治犯」とは地続きの言葉で、「わざと遅刻」とは地続きではない。そう考えると、位置が見えやすいかもしれません。
「彼は怒られると分かっていて、確信犯的に遅刻した」。言いたいのは「わざと」ですから、もとの意味からは外れます。一方、「信念にもとづいて法を破った行為を確信犯と見るかどうかで、評価が分かれた」なら、もとの用法そのままです。
責めたいだけなら「わざと」で
責めたい気持ちを言葉にするなら、「故意に」「意図的に」「わざと」なら、言いたいことがそのまま伝わります。「確信犯」は、本人が正しいと信じている場面のためにとっておく。そうしておけば、もとの意味で読む人が「この人に信念があったのか」と一瞬考えてしまうことも、新しい意味で読む人が悪意を読み取ってしまうことも、どちらも起きません。
もっとも、相手に信念があるのかどうかは、外から見ただけでは分からないことも多いものです。遅刻の常習者にも、本人なりの理屈があるのかもしれません。そう考えると、「確信犯」という言葉がここまで広がったのは、ただの誤読というより、人は何かしら信じてやっているものだ、という見方が混じっているのかもしれない。そんな気もしてきます。
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この記事は「間違えやすい日本語①」の一語です。