読めそうで読めない漢字 / 第87回
「眩暈」は「めまい」。二文字とも目がくらむことに関係する?
「眩暈」は「めまい」と読みます。目が回ったり、目がくらんだりする感覚を表す言葉です。音読みで「げんうん」と読むこともあります。
「眩」も「暈」も、目がくらむことに関わる意味を持っています。二文字を見慣れないからといって、別の珍しい症状を指すわけではありません。「眩暈」は、いつも平仮名で見ている「めまい」の漢字表記です。
「眩」と「暈」はそれぞれどんな字?
「眩」には、目がくらむ、まぶしい、目が回るなどの意味があります。「眩しい」と書けば「まぶしい」、「眩む」と書けば「くらむ」です。光が強くて見づらい場面から、判断が惑う場面まで使われます。
「暈」には、太陽や月の周囲に見える光の輪を表す意味と、めまい、目がくらむという意味があります。「月暈」は「げつうん」で、月の周囲に見えるかさのことです。「暈す」と書いて「ぼかす」と読む使い方もあります。
字の意味が複数あるからといって、「眩暈」を光の輪のことだと考える必要はありません。熟語の中では、二文字とも目がくらむ感覚に関わっています。知っている「まぶしい」と結びつけると、「眩」の字は覚えやすくなります。
「めまい」「目眩」「眩暈」はどう書き分ける?
「めまい」には「眩暈」のほかに「目眩」という表記もあります。表記が違うだけで、一般の文章で指す基本的な感覚が別々になるわけではありません。「眩暈は重い、目眩は軽い」といった区別も、漢字からはできません。
日常の連絡や案内では、「めまい」と平仮名で書くと読みやすくなります。小説や随筆では、文章全体の調子に合わせて「眩暈」を選ぶこともあります。漢字にすれば必ず正確になる、という関係ではないのです。
「彼は眩暈を覚え、いったん椅子に腰を下ろした」という描写なら、身体に感じたことを述べています。ただし、この言葉だけで原因や程度まで説明できるわけではありません。言葉の読み方と、身体に起きていることの判断は別の話です。
「眩暈がするほど」は比喩にも使える
「衣装の色と照明が次々に変わり、眩暈がするほど華やかな舞台だった」。ここでは実際の身体の状態を報告するというより、目を奪われるほどの強い印象を表しています。
「並んだ商品の値札を見て、眩暈がしそうになった」なら、金額の大きさに圧倒されたという読み方ができます。「眩暈がするほどの選択肢」では、数の多さに戸惑う気持ちを誇張しています。比喩なので、数や金額の基準が決まっているわけではありません。
同じ「眩暈がする」でも、身体の感覚なのか、驚きや戸惑いを強く表したのかは文脈で変わります。「会場で眩暈がした」とだけ書くと実際の不調に読めます。華やかさの感想なら、「目を奪われた」「圧倒された」とする方が意図が明確な場合もあります。
「眩い」「目がくらむ」と比べると表現が選べる
「眩い」は「まばゆい」と読み、強い光や、輝くような美しさを表します。「眩いばかりの新緑」なら、明るさと鮮やかさに目が向きます。「眩暈がするほどの新緑」とすると、感覚を揺さぶられるほどの強さが加わります。
「利益に目がくらむ」は、欲にとらわれて適切な判断ができなくなることです。この場合、「眩暈がする」に替えると同じ意味にはなりません。身体の感覚を使った表現でも、慣用句にはそれぞれ固まった意味があります。
「眩暈」は漢字にすると印象の強い語ですが、文章に毎回入れる必要はありません。読み手にすぐ伝えたいなら「めまい」、驚きの比喩なら「圧倒される」、まぶしさなら「眩しい」。何を感じたのかを見極めると、似た表現の中から選びやすくなります。