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「憮然」の意味と使い方|「怒っている」ではなく「失望」

「憮然」と「憤然」。並べてみると、字が違うのは一目で分かります。けれど、「ぶぜん」「ふんぜん」と音が近く、どちらもむずかしい顔をしている場面で使われるので、頭の中では一つに溶けてしまいがちです。溶けた結果、「憮然」が「憤然」の意味、腹を立てているさまを引き受けてしまいました。

「憮」の字は、心が無くなる

「憮」は、りっしんべんに「無」と書きます。字の成り立ちとは別に、覚え方としてですが、心が無になる、と読んでおくと忘れにくくなります。意味は、がっかりする、失意、呆れて気が抜ける。だから「憮然」は、思いどおりにならず、失望して、気が抜けてしまっているさまを表します。多くの辞書が、この失望の意味を最初に置いています。

楽しみにしていた企画が白紙になった、と聞かされて、何も言えずに席に戻る。その後ろ姿が「憮然」です。怒鳴る元気はありません。

怒っているのは「憤然」

一方の「憤然」は、「憤る(いきどおる)」の「憤」ですから、こちらは文字どおり怒っています。「憤然として席を立った」なら、腹を立てて出て行ったという意味で、迷いなく読めます。

「憮」はがっかり、「憤」は怒り。向きがほとんど逆なのに、音も、使われる場面も似ている。これが混同の第一の原因でしょう。もうひとつ、「ぶぜん」という音そのものが、「ぶすっと」「ぶっきらぼう」といった不機嫌な言葉と頭の中で隣り合っていることも、怒りの側へ引っぱられた理由ではないか、という気がします。こちらは推測です。

それと、「憮然」は話し言葉ではほとんど使われず、新聞や小説で目にする言葉です。文字で出会うときは、むずかしい顔をした人物の描写についていることが多く、その顔を怒りと読むか失望と読むかは、読む人の側に任されてしまいます。辞書で確かめる機会がないまま、怒った顔で覚えてしまった人が多いのでしょう。

「抗議が認められず、監督は憮然とした表情でベンチに戻った」。新聞のスポーツ面で見かけそうな一文です。辞書どおりに読めば、監督は怒っているのではなく、判定にがっかりして、何を言っても無駄だと気が抜けている。書いた記者がどちらのつもりだったかは、この一文からは分かりません。読む側も、半分は怒っていると受け取り、半分はがっかりしていると受け取る。一つの文がこれほど割れる言葉は、そう多くありません。

使うなら、どちらの顔か書き添える

いまは「憮然」を、失望よりも「腹を立てている」の意味で受け取る人のほうが多くなっています。辞書の意味で書いても、読む人の多くは怒った顔を思い浮かべるわけです。だからといって「憮然」を避けなければならない、というほどの話でもないと思います。失望の意味で使うなら、前後に手がかりを置いておけば済みます。「期待していた返事がもらえず、憮然とうつむいた」なら、怒っているとは読まれにくいはずです。逆に、「暴言を吐かれ、憮然とにらみ返した」のように怒りの動作と組み合わせると、字の意味と動作がぶつかります。にらみ返している人は、気が抜けてはいません。ここは「憤然とにらみ返した」か「むっとしてにらみ返した」が合います。

はっきり書き分けたいなら、怒りは「憤然」「むっとして」、落胆は「呆然」「がっくりと」。「呆然」はあきれて、あるいは驚いて気が抜けるさまで、「憮然」よりも失望の色が薄い言葉です。近いのは「気落ちして」「しょんぼりと」のほうかもしれません。ただ、「憮然」のもつ、大人が黙ってしまうような重さは、どの言い換えにもぴったりとは移りません。そこがこの言葉の、少し惜しいところです。

出す前に、さっと校正

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この記事は「間違えやすい日本語③」の一語です。