「檄を飛ばす」の意味と使い方|叱咤激励とは少し違う
「檄」という字を、「檄を飛ばす」以外で使ったことがあるでしょうか。思い当たるのは「檄文」くらいのものです。この字が木へんであることに気づくと、この言葉の見え方が少し変わります。
「檄」は、木札に書いた文書
古い中国で、人を呼び集めたり、ことの次第を広く知らせたりするとき、木の札に文章を書いて各地へ送りました。その札、あるいはそこに書かれた文章が「檄」です。木へんなのは、木の板に書いたから。日本でも「檄文」という形で残っていて、幕末には志士たちが同志を集めるために檄文を回しています。
「飛ばす」は、その文書を急いで遠くへ送ることです。「飛檄」という漢語もあります。ですから「檄を飛ばす」のもとの意味は、自分の主張や考えを文書にして広く知らせ、同意や決起を求めること。向かう先は目の前の一人ではなく、遠くにいる大勢です。書く側は一人か少数、受け取る側は多数。檄はそういう形の文書でした。
「執行部は全国の支部に檄を飛ばし、集会への参加を呼びかけた」。これが辞書に近い使い方で、ここで飛んでいるのは声ではなく、呼びかけの文章です。
「激」と「檄」、音が同じ
いま目にする「檄を飛ばす」は、多くが別の意味で使われています。「監督がベンチから檄を飛ばした」「社長が営業部に檄を飛ばした」。こちらは、元気のない相手に強い言葉をかけて奮い立たせる、叱咤激励のことを言っています。スポーツ記事で見かける「檄」は、まずこの意味です。
混ざったきっかけは、音でしょう。「激励」の「激」と「檄」が同じ「ゲキ」で、しかも「激しい言葉」「気合いを入れる」という連想が働きます。さんずいの「激」と木へんの「檄」、字をよく見れば別物なのですが、耳で聞くかぎり区別はつきません。それに「飛ばす」という動詞にも、「野次を飛ばす」「怒声を飛ばす」と声を投げる言い方があって、声のイメージに寄っていったのだと思います。
もうひとつ、檄文の中身はもともと人を奮い立たせる文章ですから、二つの意味の間に飛び越えられない溝があったわけでもありません。遠くの大勢に向けた文書が、目の前の一人に向けた声になった。向きと距離が縮まった、という変化です。いまでは辞書もこの用法を載せるようになっていて、誤りだと言い切ることはできません。ただ、文書の意味で覚えている人が読めば、監督が選手に向けて何かを配ったのかと、一瞬引っかかります。
どちらで書くか
その前に、字の話をひとつ。叱咤激励の意味で使うにしても、「激を飛ばす」と書くのは誤記です。さんずいの「激」に、飛ばせるような文書の意味はありません。耳で覚えた言葉は字が揺れやすいので、送る前に一度は目で確かめておきたいところです。
叱咤激励の意味で書くなら、「叱咤激励する」「気合いを入れる」「声をかけて奮い立たせる」「鼓舞する」と書けば、どの読み方をする人にも同じ場面が伝わります。「監督が選手に気合いを入れた」で、情景はそれで足ります。
もとの意味で使う機会は、あまり多くないかもしれません。それでも、主張を文章にして広く呼びかける場面は今もあります。署名を募る声明文、賛同を求める公開書簡。そうした文書を各方面に送った、と書くときに「檄を飛ばした」とすれば、言葉が本来の場所に戻ってきます。
出す前に、さっと校正
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この記事は「間違えやすい日本語⑦」の一語です。