読めそうで読めない漢字 / 第80回
「憚る」は何と読む?「人目を憚る」と「世に憚る」の違い
「憚る」は「はばかる」と読みます。「人目を憚る」なら、人に見られることを気にして遠慮する、差し控えるという意味です。一方、「憎まれっ子世に憚る」では、遠慮して小さくなるのではなく、世の中で幅を利かせる意味になります。同じ読みでも、向きが違う使い方です。
「人目を憚る」は周りを気にして控えること
「憚る」には、差し障りを感じてためらう意味と、幅を利かせる意味があります。 「人目を憚って声を落とした」では、人に聞かれたり見られたりすることを気にしています。
「この場で個人的な事情を話すのは憚られる」という文なら、周囲への配慮や、話してよいかというためらいを表しています。「憚られる」は、そうするのをためらう気持ちが自然に生じる、という言い方です。誰かから禁止されたことまで示しているわけではありません。
「誰に憚ることもなく、自分の意見を述べた」は、遠慮や気兼ねをせずに述べたという意味です。否定の形になると、控える必要がないという内容になります。憚るという語を見たら、否定が続いているかどうかも合わせて読みます。
「世に憚る」は堂々と控えることではない
「憎まれっ子世に憚る」は、人から憎まれるような者が、かえって世の中で勢力を持ち、幅を利かせるということわざです。この「はばかる」を、世間に遠慮している意味で読むと、ことわざ全体の意味が逆になってしまいます。
辞書は、遠慮する意味だけでなく、幅を利かせる意味も「憚る」に載せています。「憚ると書いたら必ず遠慮の意味」と一律に決めることはできません。反対に見える二つの意味が、一つの語に収まっている例です。
とくに決まったことわざでは、よく使われる表記と語の意味を一緒に読むことが大切です。「世に憚る」とあっても、その人が慎み深いと褒めているわけではありません。前半の「憎まれっ子」とつながって、皮肉を含む見方になっています。
「躊躇する」「遠慮する」との違い
「躊躇する」は、決心がつかずためらうことを広く表します。「買うかどうか躊躇した」は、価格や必要性に迷っているのかもしれません。「買うことを憚った」とすると、周囲の目や、そうすることへの差し障りを気にしている印象が強くなります。
「遠慮する」は、相手や状況を考えて控えることです。「発言を遠慮した」と「発言を憚った」は近い意味になります。「憚る」はやや改まった語で、人に聞かせにくい、場にそぐわないといったためらいを表す文によくなじみます。
「口にするのも憚られる言葉」という表現では、人前でそのまま言うのをためらうような言葉だと分かります。ただし、この言い方だけでは内容は説明されません。必要な情報まで伏せてしまうと、相手は何の話か判断できなくなります。
「憚りながら」は丁寧な前置き?
「憚りながら申し上げます」のような形では、遠慮しながら言う気持ちを示します。しかし、日常の連絡で使うと古風で大げさに響いたり、逆に強い異論を述べる前置きに聞こえたりすることがあります。
「差し出がましいようですが」「恐れ入りますが」のほうが文面に合う場合もあります。ただし、どれも後に続く内容を自動的に穏やかにする言葉ではありません。「個別の事情に触れるため、ここでは詳しい説明を控えます」と、差し控える理由を具体的に述べる方法もあります。
「憚」は心偏の付いた字で、遠慮やためらいという心の動きと結びつけて覚えられます。そのうえで、ことわざの「世に憚る」には別の意味があると押さえると、一文字から一つの意味だけを機械的に当てはめずに読めます。