「潮時」の意味と使い方|「あきらめどき」ではなく「好機」
辞書で「潮時」を引くと、最初に出てくるのは潮の満ち引きの話で、物事の終わりの意味は先頭にはありません。潮が満ちる時刻、引く時刻。その次に、物事をするのにちょうどよい時機、という意味が続きます。「もう潮時だ」をため息まじりに使うことに慣れていると、この並びは少し意外かもしれません。
船を出すのにいい潮
漁や航海では、潮の具合で仕事のしやすさがまるで変わります。満ちてくる潮に乗れば沖へ出やすく、引く潮を読めば港へ戻りやすい。その「いま動くとうまくいく」という潮の頃合いが潮時で、そこから陸の上の物事にも使われるようになりました。物事をするのに、ちょうどよいタイミング。意味の中心はここにあって、始めるか終えるかは問いません。
ですから「準備が整ったので、新しい事業に乗り出す潮時だ」は、意味のとおりの使い方です。「値上げの話を切り出すなら、新年度の契約更新が潮時だろう」でも同じで、ここでは好機、頃合い、時宜と置き換えられます。漢字で書き分けるなら、ある期間を指す「時期」より、チャンスを指す「時機」が「潮時」の中身に近い言葉です。「潮時を見る」「潮時を待つ」という言い回しで待っているのは、動くのに向いた瞬間であって、終わりそのものではないと分かります。「潮時を逸する」なら、その好機を逃したということです。
同じ海から来た言葉に「潮目」があります。流れの違う潮がぶつかる境目のことで、そこから「潮目が変わる」と言えば形勢の変わり目を指します。こちらも良い方へ変わるのか悪い方へ変わるのかは、言葉そのものには含まれていません。潮にまつわる言葉は、向きを決めずに変化の瞬間だけを切り取っているものが多いようです。
「やめどき」に寄っていった
一方で、「売上が伸びないし、この企画はもう潮時だと思う」のような使い方は、いまではずっと多く見かけます。これを間違いだと言い切るのは難しいところです。退くのにちょうどよい頃合いも、たしかに「ちょうどよい時機」の一つではあるからです。ただ、この言い方ばかりが目立つせいで、好機という側面が忘れられつつある、というのが実際のところだと思います。
どうしてやめる方へ寄ったのかは、はっきりとは分かりません。「潮が引く」という言葉の印象が強いこと、それから、長く続けたことを終える場面でこそ、人は言葉を選びたくなること。この二つが重なったのではないか、と想像しています。「やめます」と言うより「潮時かと思いまして」と言ったほうが、自分にも相手にも角が立ちませんから。
読む人が迷わない書き方
受け取る側は、前後の文脈が薄いと「終わり」のほうに引き寄せて読みます。好機の意味で使うなら、「攻める潮時」「始める潮時」のように、どちら向きかが分かる語を隣に置くと、誤解がなくなります。「今が潮時です」だけでメールを締めると、提案なのか撤退なのか、受け取った相手はもう一度読み返すはめになります。
退く意味をはっきり伝えたいなら、「引き際」「見切りどき」「区切り」のほうがまっすぐです。「潮時」を終わりの意味で使ってはいけない、というわけではありません。ただ好機の意味を知っていると、部活を引退する後輩の「潮時だと思いました」という一言が、少し違って聞こえてきます。あきらめたのではなく、ここが頃合いだと見きわめたのだと。
出す前に、さっと校正
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この記事は「間違えやすい日本語②」の一語です。