「うがった見方」の本来の意味|疑うことではなく「本質を突く」こと
読書会の帰り道で、こんなことがあったとします。ある参加者が、別の参加者の感想に感心して「うがった読み方でしたね」と声をかけた。言われた側は一瞬、表情を硬くした。ひねくれた読み方だと言われた、と受け取ったからです。褒めた側は辞書どおりの意味で言い、受け取った側はいま広まっている意味で聞いていた。どちらも間違ったつもりはないのに、気まずさだけが残ります。
「うがった見方」は、こういうすれ違いが起きやすい言葉です。
「穿つ」は、穴を掘り抜くこと
「雨垂れ石を穿つ」ということわざがあります。軒先から落ちるしずくが、長い年月のうちに石へ穴をあける、あの「穿つ」です。穴をあける、掘り進む、突き通す。この字が「見方」に付くと、表面をなでるだけでは見えないところまで届く、という意味になります。
だから辞書の「うがった見方」は、物事の本質や、隠れた真相までを捉えた見方です。「彼の分析はうがっている」「うがった解釈だ」と言えば、鋭いところを突いている、という評価になります。川柳の世界では、人情や世の中の裏側を鋭く言い当てることを昔から「うがち」と呼び、「おかしみ」「かるみ」と並ぶ持ち味の一つに数えてきました。こちらの「うがち」に、勘ぐりの影はありません。
なお「穿」は常用漢字に入っていないので、新聞などではかなで「うがった」と書かれるのがふつうです。字を見て意味を推し量る手がかりが、そもそも少ない言葉でもあります。
「うがちすぎ」から色がついた、と考えると筋が通る
ただ、掘り進む力は行きすぎることもあります。深読みが度を越して、ありもしない裏事情まで読んでしまう。これを「うがちすぎ」と言います。本質を突くはずの行為が、やりすぎると勘ぐりに変わる。おそらくこの「すぎ」の部分だけが残って、「うがった見方」そのものに、疑ってかかる、ひねくれて見るという色がついていったのだと思います。文化庁の調査でも、「うがった見方をする」を「疑って掛かるような見方をする」の意味で受け取る人が多いという結果が出ています。
同じ「穿」の字は「穿鑿(せんさく)」にも使われていて、こちらももとは穴を掘ることでした。それが細かいところまで調べ立てる意味になり、いまでは人の事情をあれこれ探る、あまり感じのよくない行為を指すことが多い。穴を掘る言葉が、調べすぎる、探りすぎる方向へ転がっていくのは、「うがつ」に限った話ではないようです。
褒めるときこそ出番、ただし相手を選んで
冒頭の読書会の場面を思い返すと、褒めた側は何も間違っていません。それでも気まずくなったのは、辞書の意味で聞く人が、いまは少数だからです。「うがった指摘ですね」が褒め言葉として通じる相手なら、会話は一段おもしろくなります。けれど初対面の人や目上の人に向けて言うときは、勘ぐり呼ばわりされたと受け取られる心配のほうが大きいでしょう。そういう相手には「本質を突いた指摘ですね」「鋭いですね」と言い換えておけば、意味がずれる心配はなくなります。
逆に、勘ぐりをたしなめたくて「うがった見方をするな」と言うと、辞書の意味を知っている相手には「本質を突くのをやめろ」と聞こえてしまいます。「疑ってかかるなよ」「裏を読みすぎだよ」と、そのまま言ったほうが、言いたいことがまっすぐ伝わります。
読書会の帰り道の一言は、「よく読み込んでいましたね」なら、誰もひやりとせずに済んだはずです。
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この記事は「間違えやすい日本語⑤」の一語です。